みんなに合わせる
周りの人と同じようにする
誰かの言う通りにする・・・
そんな行動の裏には、
「自分で責任を取りたくない」という他責思考があります。
あの人のせい
上司のせい
会社のせい
国のせい
時代のせい・・・
そうやって
何か都合の悪いことが起きた場合に
他者のせいにする。
周りのみんなと
愚痴を言ってればなんとなく安心する。
もし周りに合わせて失敗したとしても、
みんな一緒に失敗すれば
わたしもついでに助けてもらえるだろう。
そんなふうに、大人になってまで
自分のことを
誰かにどうにかしてもらおうという思考。
でも
そうやって他責思考でいることは、
人生を自分でコントロールする力を
自ら放棄していることになります。
ぶっちゃけ多くの人は、
自分で考えるのがめんどくさいのです。
上の人の言うことにハイハイと従って
周りの人と足並み揃えておけば、
どうにかのらりくらり生きていけるだろう
と思っています。
実際その方が、考えなくていいのでラクです。
しかし
薄々気づいているとは思いますが、
それでどうにかなっていた時代は
そろそろ終わりそうですよね。
いい会社に入れば安心ってわけでもない。
老後は国に面倒見てもらるのかも怪しい。
治安よく安全に暮らせるのが当たり前ではなくなるかもしれない。
頑張って貯金しても大幅に価値が目減りするかもしれない。
テクノロジーの進化についていけず置いてきぼりにされるかもしれない。
多様化は進行し
変化のスピードは加速し
世界の先行きが不安になるような
ニュースが耳に入ってくる。
そしてみんなが少しずつ
それぞれ違う生き方を選ぶようになってきている。
この先どうなるかなんて
誰にも予測できないし、
どれを選んだらうまくいくか、という
正解なんてものは存在しません。
そんな世界において
他責思考でいることは、
人生を自分でコントロールできないので
当然ですが振り回されます。
振り回されると不満が出てきます。
自分の頭で考えて
自分の責任で選んで
主体的に生きることをしない限り、
いつまでも不満がなくなることはありません。
自分で選んだとき、
うまくいかないこともあるでしょう。
苦労することもあるでしょう。
失敗することもあるでしょう。
それでも
自分で選べば「不満」は出ません。
自分で選んだ結果なのだから、
その結果が自分にとって良くないのであれば
やり方を変えることを考えるのみです。
主体的に生きる人にとって
人生に起こる問題は、
「自分じゃどうしようもない問題」ではなく、
「自分が対処すべき課題」になります。
つまり、自分ゴトとして人生を捉える姿勢。
それが主体的に生きるということ。
他責思考の人は、
何か問題が起きたとき、
「○○のせいでこうなった!どうにかしろ!」と叫ぶでしょう。
誰か他者に責任を取らせようとするしか術を知りません。
でも、
他人に従う、周りに合わせるという
「選択」をしたのはその人自身です。
だから結局は、
その人本人が責任を取るしかないのです。
最終的には、
他人が自分の責任を取ってくれることなんてないんです。
それなら最初から、
自分の責任で、自分で選んだ方が良くないですか?
きっと
そこに気づいた人から、
自分で生き方の選択を始めているはず。
日本人には、
みんな我慢しているんだからお前も我慢しろ!
こんなことになるなんて聞いてなかった!責任取れ!
みたいな考え方をする人が未だに多いです。
誰かが自分より得するのが許せない
自分が損したら周りの人も引きずり下ろしたい
わけですよね。
だが残念ながら、
そういう思考をしている人は、
そういうルールの世界に生きることになります。
わたしはごめんですが。
自分がどんな世界で生きたいかは
自分で選ぶことができます。
自分はどう在るか
どうするか
どれを選ぶか・・・
自分で選ぶ生き方をすれば
不満はなくなります。
あなたは今日、
どう在ることを選びますか?
あなたは今日、
何をすることを選びますか?
その選択が、
あなたの人生になります。