人と比べてダメな自分に落ち込む。
やりたいことがわからない。
夢も目標もなくて毎日つまらない。
頑張っても人生何も変わらなくてしんどいだけ。
だからもう頑張ることもやめてしまった。
何もできないし何も持ってない自分は何の価値もない。
私はあまり人から好かれない。
人を好きになるってどういうことかわからない。
私は誰からも必要とされていない。
誰からも理解して欲しいとも思わない。
ふと人間関係をリセットしたくなる。
もうずっとこの先一人のままでいいいやと思う。
仕事のストレスで家に帰っても何もする元気がない。
好きなことも趣味も特にない。
休みの日は昼過ぎまで布団の中にいる。
人の話に愛想笑いして顔が筋肉痛になる。
誰かと過ごしたあと一人になるとドッと疲れる。
一体何が楽しくて生きているのかわからない。
夜はネガティブになってズーンと落ち込む。
未来には何の希望もないから考えたくもない。
隕石でも落ちてきて地球ごと終わってしまえばいいのに。
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生きるのって、どうしてこんなにしんどいの?
すみません、
開始早々つらつらとネガティブワードを並べてしまいました。
でも、こんなふうに悩んだりネガティブになることってありませんか?
上に書いたこと全部、過去のわたしが思っていたことなんです。
かれこれ30年ほど、ずっとこんなモードで生きていました。
よくもそんなに長い間生きづらさを引きずっていたな、と我ながら感心するくらいです。
積もり積もった三十年
どうしてこんなに生きづらいのか。
なぜ毎日しんどくて仕方ないのか。
どうしていいのかわからないまま、しんどい日々を送ること30年。
30歳を過ぎても職を転々としていたわたしは、勤め先を退職し無職になってから半年ほどの月日が経過していました。
もうお金が尽きるから、働かなくてはいけない。
でも、求人をいくら見ても自分にできそうな仕事がひとつもない。
就活しなきゃと頭では思うけれど身体が動かない。
誰にも助けを求めることはできない。完全に追い詰められていた。
30代半ばにして、学歴も職歴もスキルも経験も何もない。
やりたいことも好きなことも夢も目標もない。
友達も彼氏も家族もいない。
・・・あれ?わたし何も持っていない。
そんなわたしをどこが雇ってくれるというのだろう。
わたしが唯一選べる条件の学歴不問・未経験可と書かれた求人は、総じてどれも安月給でつまらなそう。
30過ぎて、わたしにはもう仕事を選ぶ自由さえ無いんだという現実。
なんて惨めで情けないんだろう。
こんな自分を誰にも知られたくない。
恥ずかしくて外に出るのもイヤだ。
あれ、わたし今まで一体何をしてきたんだろう?
あれ、わたしはどこで間違えたんだろう?
子どもの頃は優等生で通っていたはずなのに。
どうしてこんな人生になっちゃったんだ?
あ~惨め。なんて恥ずかしい。なんて情けない。いい歳して。使えない。役立たず。どうしようもない。救いようがない。お前に何ができる。誰にも必要とされていない。生きてる価値がない。人としての価値がない。無価値。〇んだ方がいいかもしれない。 努力してこなかった自分のせいじゃないか。仕事をすぐ辞める自分のせいじゃないか。
自分を責める言葉が頭の中にうずまく。
うるさくまとわりついて離れない。
罵倒されているような圧迫感。
これまでの30年の人生で積み重なってきたネガティブな思いが一度にすべてのしかかってくるような感覚を覚えました。
そのとき、大人になってから初めてじゃないだろうか。布団に突っ伏して、号泣しました。
しんどかった理由がわかった
号泣したのは、自分に罵倒されてどうしようもなく悲しかったから。
と同時に、ここまで自分を追い詰めていたことに気づいたから。
わたしはいつも誰かに責められているように感じていたけれど、わたしを責め立てていたのは他でもない自分自身だった。
それに気づいたとき、「今まで本当にごめん」と思った。
なんどもなんども、自分に謝った。
思えば、物心ついたときからずっとそうだった。
友達とうまくやれない自分
学校に馴染めない自分太っていて醜い自分
いつまでもフリーターをしている自分
給料が安くて情けない自分仕事が続かない自分
おもしろいことが言えない自分
人に心を開けない自分
なんの取り柄もない自分
強がっているだけで何もできない自分
つまらない人生を送っている自分
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そんな自分を「ダメな自分」だと、ずっと責め続けてきた。
24時間365日、常に片時も離れず一緒にいる自分自身から否定され責められることがいかに苦しいことか…。
これまでの人生が、ずっと生きづらくてしんどかった理由がわかりました。
自分のことを「どうせ私なんて」と思っていたから。
それがすべての生きづらさの原因でした。
どうせ私は嫌われる。
どうせ私のことなんて誰も理解してくれない。
どうせいつか見捨てられる。どうせ私には居場所なんてない。
どうせ私なんて誰にも必要とされていない。
私には生きている意味なんてない。
私は何も持っていないし、何もできない。
そんなふうに、自分を否定する態度。
心の中で常に自分にダメ出しをして、
いつも自分のことをバカにして、
事あるごとに自分を責め立てて、
ひたすら自分をイジメている。
これが「自己否定」です。
自分のことをどう思っているか
・私は欠けている
・私には価値がない
・私は何もできない
・私は普通じゃない
・私は愛されない
・私は居ない方がいい
生きづらい人は、自分に対してこのような「思い込み」を持っています。
自分のことをそんなふうに思っていると、目の前には、自分がそう思っている通り↑のしんどい現実が展開されます。
これらは「事実」ではありません。あくまで本人の「思い込み」であるという点が重要です。
私たちは、現実に起こる出来事や他人の言動すべてを、自分に対して持っている思い込みを通して、見ることになります。
「自分が自分をどう思っているか」それが、現実をつくり出している。
「ダメな自分」が前提にあると、生きづらい現実、しんどい現実が映し出されるのです。
「どうして私だけがこんなにツラいんだろう…」って思っているとき、それは私だけが、ダメな自分という前提を持っているからかもしれません。
毎日しんどい、生きづらい
↓
生きづらいのは、自己否定しているから。
↓
では、そもそもなぜ自己否定をするようになってしまったのか?
次に向き合うべきは、この問いです。
ちょっと長くなってしまったので、続きは次の記事で書こうと思います。