朝9時すぎに起きて、一日の準備と朝食。
午前中は家で作業に集中。
午後は軽く散歩して、お気に入りのカフェで思考整理。
夕方は調べものや興味ある分野の勉強をして、
夜は映画観たり本を読んだりの自由時間。
時計が0時をまわったら、布団に入る。
わたしは今、自分に合ったゆるいスタイルで
マイペースに好きなことをしながら日々を過ごしています。
朝が苦手で会社勤めがしんどかったわたしが、
どうやって今の生活スタイルに移行できたか。
ここまでには紆余曲折ありました。
38歳で会社を辞めた
わたしは、フリーターや派遣として職場を転々としたのち、都内のちいさな会社に就職。
5年ほど勤めた38歳のときにその会社を退職しました。
なぜ30代後半というタイミングで会社を辞めたのか?
それは、40歳という人生の折り返し地点を目前にして、
このままの生き方を続けていて良いのか?という疑問が湧いたから。
毎日満員電車で通勤し、一日の大半を労働に費やして、もらえる給料は微々たるもの。
やりたくない仕事のために、自分を殺してひたすら作業をこなす日々。
疲労とストレスでプライベートを楽しむ余裕もない。
食事を作る気力もなく、アルコールに逃げて不健康まっしぐら。
夢も目標もなく、ただ次の日も労働するために生きるだけの人生。
長年そんな生活をしていたのは、わたしがずっと、自分自身を失っていたからです。
退職を決めたきっかけ
わたしは子どもの頃から自己肯定感が低く、自分の感情を長いこと押し殺して生きてきました。
だからわたしの人生には自分の意思というものが欠けていて、「自分で選ぶ」ということができていなかったのです。
ただただ流され、人生のあらゆる選択が消極的なものでした。
そんな自分を無視した生き方の苦しさに限界が来て、時間をかけて人生で初めて自分と向き合い、やっと本来の自分自身を取り戻したとき、自分の生き方に初めて疑いを持つことができました。
こんな生き方はもうやめたい。
自分のために時間を使いたい。
他人に従うのではなく、自分の意思で生きたい。
そう思い始めたら、もう止まりませんでした。
これ以上その生活を続けることは気持ち的に不可能でした。
翌週には上司に退職の意思を伝え、2か月後には会社を辞めました。
当時は副業をしていたわけでもなく、次の勤め先が決まっていたわけでもありませんでした。
先のことは何も決まっていなかったけれど、辞める以外の選択肢はなかった。
自分の居るべき場所はここじゃない。
こんな生き方はおかしい。
そう気づいたらもう、
ただただそこから抜け出すことしか考えられませんでした。
会社をやめて解放された日々
会社を辞めてからはすべてから解放されたかのように本当に気持ちが晴れやかで、周りの人からもすごい変化だと言われるくらいに表情が明るくなりました。
1日24時間が、すべて自分のものであること。
それがこんなにも幸せで満たされることだと初めて知りました。
「これからは自分の時間を生きるのだ」と希望にあふれ、残りの人生何をして楽しもうかと考えるのが幸せでした。
会社を辞めてしばらくの間は、
初めてのひとり旅行に挑戦したり、
読みたい本を大人買いしたり、
翌日の仕事を気にせずお酒を飲みに行ったり、
平日に街歩きや美術館めぐりを楽しんだり、
カフェでゆっくりと人生プランを練ったり…。
そんな時間を思う存分楽しんでいました。
自分の好きなことを仕事にして、思い切った挑戦をしよう。
自分の力を試してみよう。
そう意気込んでいました。
しかし半年ほど過ぎて、
自分の人生が何も進んでいないという事実に気づきます。
進んでいない現実
好きなことを仕事にってどうやるんだろう?
どんなビジネスをするのか考えたり、
参考になりそうな人をネット上で探したり、
本を読んで勉強したり、
ノートで自分の考えをまとめてみたり。
頭の中ではアレコレ計画を練っていたつもりだったのですが、現実では何も進んでいなかったんです。
やっているつもりで実は何もやっていなかった。
そんな状況に気づいたとき、まだ自分の中に残っていたしこりを見つけました。
そう、わたしは怖かったんです。
行動することが怖い。
失敗することが怖い。
自分の現状と向き合うのが怖い。
その上、怖がっていることを認めたくなくて、実に器用に現実から目をそむけていました。
怖さと向き合う覚悟
当時のわたしは、自己肯定感のどん底からやっと抜け出し、未来への希望に溢れていました。
ここからわたしの人生は変わるんだ!
一気に明るく花開くんだ!
そう思っていました。
でもよくよく見てみると、
「会社を辞めて自由な時間を得た」こと以外、わたしの現実に特に変化は起きていなかった。
希望という光でまぶしく目を細めているフリをして、実際のところは、自分の現状と向き合えずに目を逸らしていただけだったのです。
本当の自分はすごいはず。
やればできるはず。
と、なんなら他の人よりうまくやれるとすら思っていました。
けれど、
「すごい本当の自分」なんてのはどこにも存在しないし、「やればできる」という架空の話に意味はなかった。
今ここいにるのは「行動できない自分」だし、できるどころか「やろうとすらしていない自分」だった。
そんな現実と真正面から向き合えなかったから、自分はすごいはず、自分はやればできるはず、という虚構の理想像を生み出し、それにすがっていました。
わたしがやるべきことは、存在しない理想像にしがみつくことではなく、
行動できない自分、実力のない自分、そんな自分の現状を認めることだったのです。
実力のない自分からスタート
自己肯定感なく育ってきたわたしは、過去これまでの人生において
自分で決めて、自分の責任で何かに挑戦するという経験をしたことがなかった。
当然のごとく、わたしには実力なんてなかったんです。
だから自分には実力がないのだという事実を認めて、実力のない自分からスタートするのだという覚悟を決めました。
わたしは何も持っていないし、何もできないし、何もしたことがない。
そんなゼロからのスタート。
だから一歩一歩積み上げるしかない。
一発で成功なんてありえないし、最短でゴールなんてできるわけがない。
これから何度も失敗する。
きっとめちゃくちゃ恥をかく。
あり得ないくらい遠回りするかもしれない。
自分の実力のなさに心底落ち込むことだろう。
でもゼロから始めるんだからそれが当たり前。
そうやって、
実力のない自分を前提に新しい人生を始めるのだということをとことん自分に言い聞かせました。
孤独な一歩の積み重ね
自分の人生を生きる。
自分で決めたことを自分でやる。
自分の力で挑戦する。
そんなわたしの夢は、
孤独で地味な一歩から始まりました。
自分の望む理想像を明確にして、人生で大切にしたい価値観を確認しました。
理想に到達するために必要なことを考え、そのためにすべき行動を洗い出しました。
行動を起こすために必要な知識を手に入れて、すべてが初めてだから怖かったけれど、ちいさなことからひとつずつやってみました。
39歳無職の独女がゼロからのスタートなんて、一般的に考えたら無謀でしかないでしょう(笑)
でも、わたしはもう自分に絶望したくなかった。
自分を殺して生きる日々をやめたかった。
後悔しかなかった人生前半の38年、それをまた残り後半も繰り返すことだけはしたくなかった。
人生とは今この瞬間
そんな思いでここまで来ました。
人生って案外どうにかなるもんです(笑)
怖かったけど、全然大丈夫でした。
周りの人たちは思っていたよりずっとやさしくて、こんなわたしを受け入れ応援してくれました。
だからこそ、わたしはまだまだ理想を追求していきます。
もっともっと人生いろんなこと体験したいし、
新しいことに挑戦したいし、
みんなとこの世界を遊びたい。
いま思うのは、
人生って結局のところ「今」でしかないんだな、ということ。
「今、わたし楽しい。」
「今、わたし頑張ってる。」
今この瞬間に、笑顔で胸張ってそう言えるならオールOK。
だから何歳であろうと、
始めるのに遅いなんてことないんです。