よく、
今日が人生最後の日だったら?
人生が残り1年だったら何をしますか?
みたいな問いかけあるけどさ。
人生が残り1年だとしたら
1日も1年も、仮定するには短すぎない?
いや、人生の終わり、つまり締切を意識することによって
意識の改革を呼び起こすのが目的ってのはわかるんだけども。
実際のことろ1年じゃ、今から何かを成し遂げるには短すぎるわけで、
そうすると結局、消費的な楽しみを選んで終わるだけな気がする。
だって、人生残り1年ですって言われたら、
買い物する
遊び行く
旅行行く
美味しいもの食べる
エンタメ見る
みたいな、
金さえあれば楽しめる遊びを片っ端からやると思う。
だって今の時代、商品化されている楽しみは無限にあるのよ。
それやり切るのに1年まるまる使ってもまったく足りない。
しかも先が短いなら金なきゃ借りればいいし(笑)ってなるし。
前提条件がコレだと、想像してみたところで、
先のことを考えられない短絡的な思考に陥る可能性が高いのがちょっとね。
もうすこし幅を取って考えてみる
つまりは、人生の残りが1年未満なんていう非現実的な設定じゃ、
建設的な人生計画なんて生まれやしないよ、って思うわけ。
だってほとんどの人は、あと何十年生きるでしょ。
偶然の不幸は別として、人生ってそうそう簡単には終わらないもの。
だからわたしが思うに、もしその問いかけをするのであれば、
せめて人生残り5年、くらいがちょうどいいんでは?
5年なら、焦るほど短くはないけれど、余裕ぶっこけるほど長くはない。
それこそ、頑張れば何かを成し遂げて、人生のステージ変えることもできる長さではあるな、と思える。
5年あるなら、今の状態のまま惰性で消費的快楽に逃げるより、
人生崖っぷちで覚悟決めて残りの人生変えてやる!って動いた方が充実しそうよね。
3年ガッツリやってステージアップして、
残り2年、仕事も遊びも楽しみ尽くすっていう方が生きてる意味を感じられそう。
もちろん、3年間の過程だって楽しむ。
それは、ラクするという意味の楽しみではないけれど、
自分で創造するというクリエイティブな楽しさがあるよね。
人生を創造する道を選ぶには
人生の終わりを意識させる問いっていうのは、
現状、ダラダラと惰性で生きてしまっている人たちに向けられたもので。
彼らは、本当は自分らしく生きたいとか、
人生で挑戦をしたいとか、成功するために努力したいとか、
人生を変えたい、自分を変えたい、みたいなことを頭では思っている人たち。
んでも、さっき残りの人生を5年と仮定した話で、
実際にそうだとして、人生を創造する道を選べるかというと。
”自分ならやれる”と思える自己肯定感、自己効力感がないと、その道は選べないのだとも思う。
結局のところ、
自分を生きたい!
人生を変えたい!
の実現方法って、
「自分で決めて行動し続ける」のひとつしかなくて。
答えはひとつしかないのに、
それでも多くの人が長いこと、それをできずに悩み続ける現状っていうのは、
自分で決めて行動することへのハードルの高さを手放すことが難しいのだろうと想像する。
でもっておそらくそれは、物理的ハードルよりも、心理的ハードルだろう。
ハードルを乗り越えるために
それらのハードルを乗り越えて
自分の人生を自分の手で創造する方法について、
わたしもいま自分で実験をしている段階で。
ベースとして必要な、自己肯定感、自己効力感を持っていること。
持っていないのであれば、自分で育てる。
んで、行動し続けるためには習慣化、仕組み化するのが近道。
その方法を知ること。
それと、セルフイメージの書き換えや、未来の感情を先取りする手法を取り入れることによって、
より変化を加速させるという感覚。
人生の加速と拡大を意識しながら、
自分を動かすための方法と仕組みを日々構築することについて考えている。
これまで主体的に行動したことがないという方には、
わたしもマジで同じ立場だということを強調したい。
それでもどうにかここを抜け出したい、
というか、変わるタイミングは今ここしかないと強く感じているから、
うまく動けない自分と葛藤しながら、どうにか動こうとしているところだ。
今日のアクション
人生を創造する方法、
「自分で決めて行動し続ける」。
おそらく多くの人は、行動ができない。
それは、自分の動かし方を知らないから。
あなたは、自分の動かし方を知っていますか?
どうやったら、自分の望みに向かった行動が取れると思いますか?